株式会社谷口化学工業所

豊かな体験を届ける。

日本最古の靴クリームメーカーが大切にする100年続くものづくりへの考え方

谷口化学工業所は、創業1910(明治43)年の日本最古の靴クリームメーカー。墨田区のみならず日本が誇る会社として歴史を紡ぎ、2023年で113年目を迎えました。カジュアルスタイルが浸透したことで革靴や関連するケア用品の需要が減少する中で、これまでの歴史と伝統を活かし、どのようにして次の100年を創ろうとしているのでしょうか。同社の5代目である谷口弘武さんにものづくりに対する考え方や未来をつくるための取り組みをお聞きしました。

「長く使いたい」を支える道具

靴のお手入れに必要な基本の道具である乳化性靴クリームや油性靴ワックス、靴クリーナーといったケア商品を100年以上にわたって製造してきた谷口化学工業所は、現在、靴磨きのシューケア用品をはじめ、バッグや財布などのレザーケア製品の製造販売など、さまざまなケア製品をトータルで取り扱っています。

谷口化学工業所の代名詞『ライオン靴クリーム』は、日本にまだ紳士靴が根付く前から発売されています。1903年の日露戦争時に『半長靴(はんちょうか)』と呼ばれる軍用ブーツが日本に入ってきたことがきっかけで、靴クリームが誕生しました。

「半長靴はとても頑丈ですが、革は乾燥に弱く、ヒビ割れを起こしたり、革の硬化で足の痛みを引き起こしたりといった課題があったことから、保革(革の保湿)するためのクリームとして当社が最初に作ったと聞いています」とライオン靴クリームの誕生経緯を話してくれたのは、5代目の谷口弘武さんです。

「創業前の1903年に上野動物園に初めてライオンが来日してブームが起き、当時は会社名や商品名に動物や珍しい生き物の名前を入れる流れがあったようです」と商品名の由来を話します。

日本では素足で履く草履が主流だったため、軍用ブーツが持ち込まれたことで、靴下づくりなどをするメリヤス業などが活況を呈しました。昭和中期・後期には日本の人口増加で革靴が履き物として一般化し、谷口化学工業所の靴クリームも徐々に活躍の場を拡げていきました。

谷口さんは大学卒業後、IT企業で営業職として5年間勤めたのち、2017年に家業の谷口化学工業所へ入社しました。ケア製品づくりの技術を先輩社員から教わりながら、2019年に従来の靴クリームの品質を高めた「エクセレントシリーズ」の企画開発、その翌年には自然由来の原料や製造背景にまでこだわった「自然から作ったシリーズ」の展開をスタートさせるなど、新たな挑戦にも率先して取り組んできました。

そんな谷口さんは、2021年に父から受け継いで5代目として奮闘中です。商品の開発だけでなく、革靴のケア方法を知ってもらう機会として靴磨き講習を開催するなど、シューケアを通して大切なものを長く使うことの豊かさを提供することも積極的に行っています。

「手作業」の製法を守り抜く

靴クリームの主原料は、ロウ・油脂・水です。そこに乳化剤を配合し、火で溶かして液体になったロウ成分を瓶に注ぎ固めて作ります。谷口化学工業所は、製造工程の大部分を手作業で行っています。中でも、創業から110年を超えてもなお守られている伝統的な充填手法に「3度注ぎ」があります。

「機械による充填は液体が飛び散って斑点状に固まってしまう恐れがあります。ツヤ感や光沢感のあるきれいな仕上がりにするため、手作業が最もよい方法なんです」と谷口さんは言います。

「1回で注げるのではと思われるかもしれませんが、ロウ成分を1度で注ぐと下の部分が熱いまま表面だけが固まってしまいます。全体が固まるまで待つと収縮して真ん中が凹み、表面の乾燥やムラが生じてしまうんです。そのため、手作業で3回に分けて注ぎ入れ、密閉させることで光沢感やツヤ感のある状態で届けられるようにしているんです」と3度注ぎの理由を説明します。

クリームの充填からラベル貼り、検品作業を一つひとつ丁寧に手作業で行われた靴クリームは、現在も自衛隊の駐屯地に納められたり、ホームセンターなどの店舗やECサイトで展開されたりと、身近なものへと近づけていきました。

谷口化学工業所の主力商品は、「エクセレントシリーズ」と呼ばれる乳化性靴クリームです。これまでの靴クリームのロウの種類や油脂、水分量などの配合を見直したことで、より伸びが良くツヤの出るクリームとして進化させました。百貨店やホームセンターなどのバイヤーからは非常に高く評価されているそうです。

機械化にあえて頼らない手作業での製造にこだわる谷口化学工業所。創業から意図を持って変わらぬ手法を貫いてきたことで、いつの時代も多くのユーザーの信頼獲得につながっています。

ケアの時間を豊かに

カジュアルなスニーカーが浸透し、合皮技術も発展したことで、革靴を磨く習慣が薄れてきました。谷口化学工業所にとって、創業時の活況と比較すると非常に厳しい状況なのは事実です。しかし、谷口さんは「革靴はフォーマルなものになり、特別な時間を過ごす時に利用する考えの人が増えました。趣味嗜好のものになり日常使いではなくなったものの、いいものを長く使おうとする人が増えている印象です。だからこそ、シューケア製品を届けるのは時代の流れにも合っていると思います」とチャンスを見出しています。

谷口さんは、ケア用品はできる限り化学品を排除したエクセレントシリーズや自然由来の製品を開発しました。特に谷口さんがこだわったのは、香りです。

「従来の靴クリームには、有機溶剤を使用します。揮発性の高いこの溶剤は石油系の独特な臭いを発します。この臭いに嫌悪感を抱く人も少なくないことから、香料を混ぜてリラックスを誘うようなクリームを開発したんです」と経緯を話します。

リラックス効果や疲労軽減の効果があるとされるレモンやジンジャーといった柑橘系の香り、心を落ち着かせてくれるヒノキの香りなどがあります。ふわりと心地よい香りの中で、ケアの時間も豊かに過ごせる演出をしているのです。

また、新規開発した「自然から作った靴クリーム」「自然から作った革オイル」は、環境保全をテーマにサステナブルを意識した商品。害獣に指定され、駆除により廃棄されるエゾジカの脂を抽出した自然由来の原料を活用しています。高品質でさらに製品のストーリーが見えることでユーザーの共感を呼び、好評なのだそうです。

「そもそも靴を磨くことや革をケアする行動そのものがSDGsだと思っています」と話す谷口さん。ビフォーアフターよりもケアの過程に着目し、靴磨きやお手入れの時間をより豊かな体験にすることで、ものを大切にしていくサステナブルな考えを伝えています。

技術や知見を活かし、他業界にも挑戦

靴クリームメーカーとしてスタートした谷口化学工業所は、レザーケア製品だけでなく、培った技術やノウハウを活かした新規事業としてDIY専用木材塗料の製造・販売を始めました。

「以前から他の市場でも自社の培った技術を生かしたいと思い、アイデアを考え続けてきました。靴クリームをシュークリームに置き換えて、シュークリーム屋をやってみようかなと考えたこともありましたね(笑)。その中で、私がDIY好きで塗料を使うことも多かったので使いやすい木材塗料を作ろうと考えたんです」と開発経緯を話します。

谷口さんは商品づくりにあたり、「やりたいことか」「市場の成長性があるか」「既存の他社製品と差別化が図れるか」「既存の設備とノウハウが活かせるか」といった点を軸に開発をしていきました。

「塗装業界に挑戦するのは当社にとって初めて。業界のスタンダードや景品表示法(※)にかからないための最低限のルールなどを調べるところからのスタートでした。だからこそ、誰に届けたい商品であるかを具体的にすることでブレない商品づくりを心がけました」と振り返ります。

こうして1年の開発期間を経て、木材塗料の『クロマニョンペイントシリーズ』が誕生しました。「誰でも・手軽に・心地よく」をテーマに、老舗靴クリームメーカーならではのアイデアが詰め込まれた新しい塗料のカタチを実現させました。「DIYに詳しい友人や関係者に塗料の課題をヒアリングしながら進めていきました」と開発期間を振り返ります。

靴のお手入れに使用されている先端部分がスポンジになっている「ハンディステイン」という容器を採用したことで、刷毛などの道具なしで手を汚すことなく塗装を楽しめる商品ができました。現在、ホームセンターなど約70店舗で展開され、販路を拡大しています。

※景品表示法:商品・サービスの品質、内容、価格等を偽って表示を行うことを厳しく規制した法律。

人々の心が動く瞬間を届ける

区内企業とのコラボレーションも積極的に行っています。直近では、ツバキオイルを使った化粧品で知られる株式会社黒バラ本舗とタッグを組んだツバキオイル配合の『北斎靴くりーむ』の展開をしました。他にも、豚革のなめし業のプロフェッショナルである山口産業株式会社や豚革の株式会社二宮五郎商店、ブランド豚「有難豚(ありがとん)」を飼育する養豚家たちと豚革の魅力を伝える活動に参画し、限定のレザーケア商品を作るなど、サステナブルな取り組みも精力的に行っています。

これからさらにメーカーとユーザーが直接触れ合える体験の機会を増やしていきたい、と谷口さんは話します。「メーカーとしてもユーザーにとってもまず体験すること、体感することは大事だと考えているので、靴クリームづくりや靴磨き体験ができる機会を作りたいです。作り手の顔が見えますし、どんな会社がどんな想いを持って活動をしているのかを伝えられる時間になるからです」。

谷口化学工業所では、谷口さんが入社してから革靴好きな人をターゲットにした靴磨き体験や親子で参加できる靴磨き教室などのイベントを積極的に行ってきました。こうした機会を通して、参加者が靴磨きに興味を持つだけでなく、お気に入りのものを大切にしたいと心が動く瞬間に立ち会ってきた谷口さんは、シューケアの新たな可能性を実感しています。

丁寧な時間の積み重ねを大切にするからこそ、110年以上の歴史を紡いでこられたということが伝わってきます。谷口化学工業所のものづくりに向き合う真摯な姿勢は、5代目の谷口さんにも受け継がれています。

今後、100年先の谷口化学工業所をつくっていくために谷口さんが考えていることをお聞きしました。

「海外にも販路拡大をしていきたいですね。現在、タイでの販売実績はありますが、中国や台湾といった日本の気候に近いアジアの国を市場調査しています。革をたしなむ層が一定数いるので、海外展開も積極的に進めていきたいです」

「時代の流れに沿って、事業も適切な変化をさせながら常に成長する会社でいたいと思いますし、一緒に働いてくれる仲間たちにここで働いてよかったと思ってもらえる会社にしていきたいです」と目標を力強く話してくれた谷口さん。

お客様が本当に求めているものは何かという本質に迫りながら、常識に捉われずしなやかに動いていこうとしています。時代の変化と共に変えるもの、変えないものを選択して、谷口化学工業所のこれからの10年、100年を創っていこうとしています。

子どもたちへメッセージ

歴史と文化、そして流行が融合する墨田区。このまちでは多くの体験ができ、かけがえのない大切な思い出ができます。いろんなことに興味を持って、たくさん経験してくださいね。そして、大人になったらたまに靴を磨いてね(笑)。(谷口)