公益財団法人杉山検校遺徳顕彰会

視覚障がい者の自立を助ける。

日本の鍼灸(しんきゅう)・あん摩を次世代につなぐ取り組み

鍼灸・あん摩は、現代においても多くの人が利用する治療法です。その歴史を語るうえで、重要な功績を残した杉山和一という偉人の存在を忘れてはいけません。盲目の偉人として、視覚障がい者が経済的に自立できる道をつくった人です。

今回は、杉山和一の功績を未来につなごうと活動する、公益財団法人杉山検校遺徳顕彰会(すぎやまけんぎょういとくけんしょうかい)の理事長である吉田勉さんに、日本の鍼灸医学界や盲人世界の歴史を聞き、次世代につなげていくために取り組んでいることをお聞きしました。

江戸時代を代表する盲目の偉人・杉山和一の発明した鍼術

鍼灸とは、東洋医学の治療法のひとつで、身体の変化を触診し鍼(はり)や灸(モグサを皮膚上で燃焼させて病態に治療介入する伝統的な民間療法)を施すことで、身体機能の回復を図る治療法です。痛みだけでなく、さまざまな疾患に効果があるとされています。

現在、世界中で鍼灸師が採用している「管鍼法(かんしんほう)」という施術方法は、杉山和一という一人の盲人鍼師によって生み出されました。また、自身が盲人として自立の道を切り開いてきた経験を活かし、世界で初めてとなる鍼灸の視覚障がい者の教育施設をつくりました。

鍼灸医学界に影響を与え、また視覚障がい者が自立して働ける道をつくった杉山和一は、世界中の鍼灸医が尊敬する人物の一人となっています。

墨田区千歳1丁目にある江島杉山神社は、彼を祀った神社。この神社境内には「杉山和一記念館」が建てられていて、館内には治療所と和一の功績や鍼灸・あん摩の歴史や資料が展示されている博物館があります。

記念館や博物館を運営しているのは、公益財団法人杉山検校遺徳顕彰会です。理事長を務める吉田勉さんは「杉山和一検校の功績を世の中に伝え、未来につないでいきたい」と力強く語ります。

杉山和一は、幼少期に伝染病にかかり失明をしました。17歳で江戸の地に出て、山瀬琢一(やませたくいち)という鍼灸医の弟子となりますが、技術力が向上せず破門されてしまいます。目が不自由な和一は自身が強く生きていくことを決意し、江ノ島弁財天で断食修行を行いました。最終日、石につまずき倒れた和一は、足に刺さった松葉が筒状の椎の葉に包まれているのを見て、新たな鍼灸の施術方法を閃きました。それが鍼(はり)を管に通して打つ「管鍼法(かんしんほう)」というものです。

この技法について吉田さんは「従来は鍼を手に持って直接刺す『捻鍼法(ねんしんほう)』が主流でしたが、杉山検校の考案した『管鍼法』は治療部位に対して細い鍼を痛みもなく正確に刺すことを容易にする画期的な発明だったのです」と、和一の偉大さを説明します。

和一の生み出した新たな鍼術は、現在、世界中の鍼灸師が採用する施術方法となり、鍼灸の歴史を語るうえでは外せない功績なのです。

世界初、視覚障がい者の学問所

「管鍼法」を生み出し、京都での修行を経て江戸で開業した杉山和一は、鍼の名人として知られるようになりました。すると、評判を聞きつけた第五代将軍の徳川綱吉が、61歳の和一を「検校(けんぎょう:盲人に与えられる最高位の官職名)」として迎え、自身の治療にあたらせました。和一は綱吉公の信頼を獲得し、盲人の鍼師として確かな地位を築きました。

72歳で現在の千代田区麹町に、視覚障がい者が鍼灸・あん摩の技術を修得できる「杉山流鍼治講習所」を開設しました。この学問所は、世界初の視覚障がい者の教育施設で、経済的自立につながる先進的な取り組みでした。 「ヨーロッパでは18世紀に視覚障がい者の教育が始まったといわれています。杉山検校はその100年前に学問所を開設しています。誰もが同じように学べるように、教科書を用いる教育をつくりあげました」と吉田さんは和一の功績を説明します

日本​の鍼灸療法を確立させ、学問所から次々と優秀な鍼灸師を輩出し、鍼灸・あん摩を視覚障がい者の職業として定着させることで、自立の道を開く礎になったのです。

和一が83歳のときには、綱吉公からこれまでの功績をたたえ、本所一つ目の土地(現在の江島杉山神社の場所)が与えられました。年老いても和一が月参りに赴いていた江ノ島弁財天の分社とすることが許され、屋敷内には豪華な社殿が建立されました。

85歳で亡くなったあと、社名が「江島神社」となり、和一の霊牌所の「即妙庵」も再興されて「杉山神社」ができました。2つの神社は、震災などの被害を受け一度は焼失しましたが、1952年に合わせて祀る形で「江島杉山神社」が建立され、現在に至ります。

学問所が開設されたことは、和一の没後300年以上経過しても、多くの視覚障がい者の可能性を広げています。吉田さんもその一人です。

「幼い頃から鍼灸師になるまでには、視覚障がい者の社会的身分の低さを感じることが多々ありました。視力、知力、体力などが劣っていると言葉や態度で攻撃をする人もいたのは事実です」

視覚障がい者が出場する柔道の全国大会で優勝に輝いた実績もあるという、吉田さん。高校時代の先生から「よくやった」と褒められ、心が軽やかになったと振り返る。

「高校時代は、大会に出場する選手を決めるために校内試合をして勝ってもレギュラーになれず常に補欠でした。悔しさが常にあったんですよね。でも続けていくうちに勝てるようになっていくと楽しさもわかってくる。続けるって大事ですよね」

視覚障がい者に対する周囲の反応に悔しさを感じたと話す吉田さんですが、それでも和一のように自分の人生を諦めず努力を怠りませんでした。

「尊敬されるためには何が必要だろうと必死に考えましたね(笑)。お金を稼ぐ、知識力を高める、病人を治す技術を身につける。誰にも負けないという思いで、努力してきました。今はとても幸せになってしまったから、その欲がちょっと薄れちゃったかもな(笑)」

吉田さんも鍼灸師として開業して41年が経ち、障がい者が社会的に認められる存在になったと実感を得ているようです。「杉山検校の残した功績は大きく、また後世に伝えてきた人たちのおかげ」と思っています。67歳となった吉田さんは、顕彰会の理事長としてまた一人の鍼灸師として、確かな自信を持って充実した日々を過ごしていることが伺えます。

杉山検校遺徳顕彰会のSDGs

世界初の視覚障がい者の教育機関をつくった、杉山和一。彼の功績は、今もなお多くの鍼灸師に影響を与えていますが、その背景には和一の顕彰と継承の活動を行ってきた人たちの存在があります。

1930年、杉山和一の遺徳を世の中に広めようと「財団法人杉山検校遺徳顕彰会」が設立され、現在は公益財団法人として活動し、2020年に 90周年を迎えました。

2016年4月、和一ゆかりの江島杉山神社境内に2階建ての「杉山和一記念館」が完成し、活動の拠点となる場が完成しました。

建てられたのは、かつて学問所を構えていた場所です。ここには日本の鍼灸・あん摩のルーツを探る資料などが保管・展示されている「鍼灸あん摩博物館」のほか、鍼灸マッサージの「杉山鍼按治療所」が併設しています。

記念館を顕彰会の拠点として、鍼灸・あん摩の技術を通して社会に貢献する人材を輩出し、未来につなぐ取り組みを行っています。

遺徳を顕彰する活動として、交流会や5月18日の和一の命日近くになると偲ぶ会の開催、また彼岸時期になると鍼に感謝を捧げる鍼供養などを実施しています。また、遺志を継承する活動として、学術講習会や市民向けの講座の開催、また治療所の開設といった取り組みがされています。

記念館内にある治療所は、「鍼灸師たちに自信を持ってもらいたい」と免許取得者を研修生として受け入れ、治療する現場を実際に見てもらう機会をつくっています。「視覚障がい者にとって鍼灸は生活費を稼ぐ、社会とつながれるものだと思う。つながるっていいものですよね」と吉田さんはいいます。

現代は、患者さんの中には病を治したいと訪れる人だけでなく、リラクゼーションのひとつして訪れる方もいて、新規の患者も増えているのだそうです。「鍼灸師の中には『治す』鍼灸師と『癒し』の鍼灸師がいて、治療所に勤めてもいいし、開業も可能なので、たとえば子育て中のお母さんでも活動を続けることができるので、選択肢が広いんです」と鍼灸師の魅力を話します。

た、マスコミや各メディア対応、地域イベントへの参加などを通して積極的に広報活動を行います。精力的に活動する背景には、吉田さん自身が視覚障がい者として自立を実現することができたからこそ、多くの人にも体験してほしいと考えているからなのです。

「素晴らしい業績を広める顕彰活動、社会に貢献すること、役立つ鍼灸師を養成すること、これらに取り組むことで視覚障害者の自立を助け、未来につないでいきたい」と力強く話す吉田さん。

吉田さんは、今後の顕彰会の活動に夢を膨らませています。

「学問所で使用されていた教科書がオーストリア・ウィーンの盲学校に保管されていると聞きつけ、今問い合わせをしています。フランスには点字を発明したヴァランタン・アユイさんの博物館があり、この方も視覚障がい者の歴史や教育を語るうえでとても重要な人物です。世界各国で取り組む方たちと友好関係を築くといったことにも取り組んでいきたいですね」

「綱吉公は悪評が高い人物だったともいわれていますが、儒教の『仁』を重んじて福祉にも力を注いだ人物として、近年は見直されている部分もあります。綱吉公は『生類憐れみの令』の発布したことや、杉山検校が戌年であったことなどから、イベントとして盲導犬のイベントなども計画してみたいですね」と、顕彰、継承活動のアイデアが次々と浮かんでいます。

全国では杉山和一を讃える「杉山祭」というお祭りが開催されているのだそうです。「私が全国の盲学校に問い合わせ、杉山祭を実施している学校は7箇所程あると聞いています。ただ、やっていてもお互いが何をしているのかまで見えていません。そのため、杉山会なるものを立ち上げ、相互に情報交換をする機会をつくりたいです」。

「記念館には仲間がいると思ってもらえたり、ふるさとのように思い出してふらっと訪れられたりする、安心できる場所にしたい」と記念館の今後について力強く話す吉田さん。

令和4年度、墨田区の小学校5年と中学1年の社会科の副読本に、杉山和一の歴史が掲載されることが決定しました。「学校からの要望もあれば、出前講義をすることもできるということなので、少しでもわかりやすく説明し、知っていただける機会をつくっていきたい」。

地道な活動を継続しながら、吉田さんはこれからも和一の想いと功績を視覚障がい者に届け、豊かな人生を送れることを体現していこうとしています。

子どもたちへのメッセージ

杉山和一という人物は、武家に生まれて医学の道に入った人です。本当はそのままの暮らしでも裕福に過ぎすことができた人物でした。そんな彼が医学の道で努力しました。実るまで努力をした人でした。生活に流されることなく、自分のやろうとしたことに突き進み、努力をすることを忘れてはいけないかなと思います。(吉田)